理事長メッセージ
医療法人社団 蒔北会 理事長 蒔田 万理(旧姓:茅野)
ごあいさつ
生まれ育った地域の皆様に、今まで培った知識と経験を活かし、患者さんに寄り添う医療の提供を目指して「まきた眼科 木更津院」を開院しました。志を同じくしたスタッフ共にチーム一丸となって皆様の眼の健康をサポートしていきたいと思います。
土、日、祝日も診療しておりますので、少しでも眼のことでお困りのことがございましたら、ご来院ください。
プロフィール
1967年 生まれ
君津市立小糸中学校 卒業
千葉県立木更津高校 卒業
青森県 国立弘前大学 卒業
自治医科大学 眼科学教室 入局
済生会宇都宮病院 勤務を経て
1998年9月1日 栃木県下野市 おちあい眼科 開院
御茶ノ水井上眼科クリニック 勤務を経て
2017年2月1日 まきた眼科 木更津院 開院
2017年10月1日 二院を統合し、医療法人社団 蒔北会 設立
2018年3月16日 まきた眼科 座間院 開院
2020年9月1日 「おちあい眼科」を「まきた眼科 石橋院」に名称変更
まきた眼科のコンセプト
「愛着ある木更津の地に貢献したい」
という強い想い
私は千葉県君津市で生まれ育ちました。小糸中学校、木更津高校を経て、青森県の弘前大学を卒業し、眼科医師として栃木県の自治医科大学病院や地域の中核病院で勤務した後、かねてより思い描いてきた「地域に貢献する医療機関」、「いつでもどこでも誰もが安心してかかれる医療機関」をつくりたいとの想いを実現するため、平成10年(1998)に栃木県下野市に「おちあい眼科(現 まきた眼科 石橋院)」を開院。
その次のステージとして、栃木県で培った約20年の地域医療の経験を活かし、自身の故郷に貢献したいとの想いから平成29年(2017)、千葉県木更津市に「まきた眼科 木更津院」を開院しました。木更津はアクアラインの開通による人口増加都市であり、関東全域へ交通アクセスの利便性も高まっていますが、房総半島という地形の特殊性から「医療」という観点からはまだまだ発展途上にあります。生まれ育ったこの土地で、日進月歩の医療の進化をしっかりと取り入れながら、高品質な検査と診療を提供できる眼科をめざしています。土日・祝日も診療していますので、眼についてお困りのことがあればお気軽にご相談ください。
年齢を重ねても「クリアな視界でいられる幸せ」を実感していただきたい
三方を海に囲まれ、自然に恵まれた房総半島は、農業・漁業関係のお仕事をされている方も多い地域です。また、アウトレットパーク、コストコなど大きな商業施設も誘致されてきたため、新しい人口流入もあります。蒔北会は白内障診療に力を入れていますが、白内障は加齢と紫外線などによって進行していく病気です。たとえば漁師さんは一年中紫外線にさらされる環境の中で白内障だけでなく、瞼裂斑、翼状片などの病気も発症しています。しっかりとした検査と手術で視力が上がれば、それだけお仕事にも集中できると思います。種まきや害虫駆除の作業、収穫後には出来栄えの見定めをされている農家の方も同じでしょう。
「若者時代の見え方」をいち早く取り戻されると生活が変わります。蒔北会では栃木県の石橋院で白内障手術を行っておりますので、白内障に対する知識と情報が豊富にあります。その経験を活かし、地域の皆様のクリアな視界を実現し、お元気に長く活動される人生をサポートしていきます。
人生100年時代
「見えるものを、より良く見えるようにすること」が大切
現在の白内障手術は日進月歩でどんどん進化しています。「見えないものを見えるようにする」のは当たり前で、これからの人生100年時代には「見えるものを、より良く見えるようにすること」が求められています。白内障は加齢とともに進行するものなので、白髪の生え始める年齢以上の方々はほぼ全員が白内障といっても過言ではありません。私が研修医時代の20年前には、麻酔は太い針での注射、手術も1時間以上かかり、その後に約1週間の入院が必要でしたが、現在では医療技術の進歩により、麻酔は目薬、5~15分で手術は終わり、日帰りでの手術が当たり前となりました。
「手術」というと大手術をイメージされて怖いものとして二の足を踏み、よく見えないのに無理に我慢される方もいらっしゃいます。パソコンモニターやスマートフォンに写るお孫さんの顔もはっきりと見えない状態は、とてももったいないと思います。術後の「見える生活」ではテレビも「ブラウン管と4Kくらいみえ方が変わった」とうれしそうに話される患者さんもいるほどです。また運転をなさる方はご自身の安全のためだけでなく、加害者とならないためにもより良い視覚というものはとても重要です。当院では、人生を彩り豊かに過ごしていただくためにも、適応のある方は早めに白内障手術を受けられることをお勧めしています。
34代目として受け継いだ、
先達からの熱い情熱
私の父方の祖母が医師の家系であり、ずっとさかのぼったご先祖は九州・島津藩の御殿医でした。そこから数えてみると私が34代目となります。私の祖母の父親、曽祖父は小糸の地で熱心に医療活動をしており、急患が出ると馬に乗って駆けつけていたそうです。母方なので直系からは少し外れるのですが、私の父も外科医でしたので、その意味では代々、脈々と医師の血が受け継がれ、私の中にもその血が流れていることを誇りに思っています。
父は東京大学の関連病院で働いた後、君津の地で「いつでもどこでも、誰もが分け隔てなくかかれる医療」をめざして、無床診療所を立ち上げました。その頃まだ小学生だった私ですが、情熱に燃えて未来を見据える父の顔は今でも鮮明に覚えています。私も医師となってからは、患者さんのために何ができるのか?どうしたら、患者さんに寄り添う医療ができるのか?その時の自分自身にできる最善、最新の診療とはなんだろうか?ということを常に自分の胸に問い続けています。また医師一人では良い医療は提供できません。志を同じくしたスタッフと、チーム一丸となって皆様の眼の健康をサポートしていきたいと思います。
※蒔北会サイト「私たちの想い」もぜひご覧ください。
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